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Michael Flatley's
Feet of Flames

Feet of Flames 2001 "The Victory Tour" 物語

このページはCaeriさんのThe Victory Tour Storyを参考にさせていただきました。
Thanks to Caeri of Michael Ryan Flatley.

関連原文記事へのリンクが切れてしまったので、説明を補足しました。2002.6.3

2001年6月6日Greenvilleでのドレスリハーサル、6月8日Miamiでの正式オープンから、引退公演となった7月29日Dallasまで、20都市で21公演が行われた。(FOF 2001 全ツアー記録)最も優秀なダンサーをそろえ、最も強力なチームを組み、最高のパフォーマンスを4年間待ち続けたアメリカのファンに披露することになったこのツアーは難航を極め、予定通りすべの日程を終えたMichaelにとって、文字通り勝利のツアーとなった。どん底を経験しなければ至上の幸福感は得られない、と彼は言ったことがあるが、まさにこのツアーはその言葉を証明したものだった。

ホームタウンであるChicagoのUnited Centerでは満席の観客と家族全員の前で演じ、New YorkのMadison Square Gardenでの公演で、彼の生涯の夢の一つを達成した。しかしながら、窮屈な24時間体制の警護(関連事項補足 *1)に耐え、舞台装置の故障や突然の家族の病気、またニュージャージーで目前にしたスタッフの不慮の死など、うち勝つにはあまりに過酷な幾多の試練があった。

Miamiでは開始早々カーテン(幕)の片側が開かないというトラブルがあり、その後も装置の不調は何度かMichaelを悩ませた。武装したボディガードが始終彼に張り付いていて、Atlanta公演以降は終演後のMeet & Greetを禁じられた。それはファンよりもむしろMichael自身を落胆させた。実際のところ、セキュリティガードの監視の目を盗んでファンに会いに行ったこともあったそうだ。

FOFの舞台セットは巨大で、設置・撤収・輸送に7台の大型トラックと70人のクルーを必要とし、アメリカ全土を短期間で巡るには無理があったようだ。ダンサーの脚に負担がかからないように表面が柔らかく作られた特製ステージを乗せたトラックは、Chicagoのすぐ翌日のDetroitではとうとう開演に間に合わず、Michaelはマラソン・パフォーマンス=最後の4つのナンバー(The Duel〜Planet Ireland)を堅いステージで踊らなければならなかった。

Philadelphiaでも忘れがたいハプニングがあった。Planet Irelandでせり上がったステージが油圧装置の故障で突然傾きだしたのだ。観客の悲鳴とそれに続く静寂。異変に気づいたMichaelが観客が指さす方を振り向き「動くな!」と指示を出すまで、ダンサーたちは傾いたステージの上で正確なステップを踏み続けていた。油圧装置は即座に調節され、一際大きな喝采の中、無事に負傷者もなくアンコールまで終えることができた。

Washington公演の直後、ワシントンポストに載ったSarah Kaufmanによる酷たらしい中傷記事(原文記事)に、ファンの全員が怒りに震えた。Michaelは批判的な記事は決して読まないということは知っていても、やり場のない怒りと悲しみを押さえきれず、しばらくはSarah Kaufmanに対する批判が飛び交った。

大願成就、SOLD-OUTのMadison Square Gardenでのパーフェクトなパフォーマンスの後、ニュージャージー州East Rutherford(Meadowlands)に会場を移し、そこで悲劇は起こった。Michaelは開演直前いつものようにステージで最後のウォーミングアップをしていた。彼の習慣を知っていた観客はそのタップ音に耳を傾けていたところ、開演15分前、カーテンの向こうでセットが崩れ落ちるような異様な物音を聞いた。会場のスタッフであった照明係の一人がセットの高いところからステージに転落したのだ。(関連事項補足 *2)Michaelのいた場所からたった6フィート(約1.8メートル)のところに落下し、首の骨を折ってほぼ即死であった。公演の中止を申し出たMichaelを、周囲は続行するように説得した。45分遅れてスタートしたショーは、Michaelを初めて見る観客は異変に気づかないほどテクニック的には完璧なものであったが、Michaelの顔にいつもの喜びに満ちた笑顔はなかった。Celtic Fireの途中でMichaelは、"A man was seriously injured here tonight. This is for Kevin Finn. God Bless you, Kevin!!"と叫んだそうだ。その時点で病院に運ばれたKevin Finnが死亡したことを知らされていなかったのかもしれない。彼の家族には、Michaelから公演の収益の一部が見舞金として贈られたそうだ。Troupeのメンバーは後に、そのショックから立ち直るのに10日かかったと話した。Michaelはいまだにこの悲惨な事故について、公の場で言及していない。

9日間の短いブレイクの後、ツアーは西海岸に移動してオレゴン州Portlandで再開した。「Meadowlandsの悲劇」の真相を知るファンは一様に再開を危ぶんでいたが、ダンサーたちの演技にショックの後遺症はほとんど感じられず、ほっと胸をなで下ろした。SacramentoとSan Joseでは、プレゼントを用意した少数のファンが、バックステージでMichaelの誕生日(7月16日)を祝った。

公演は順調に進み、映画用の撮影の行われたLos Angelesではショーの後、スタッフや家族・友人のためにパーティを催していたホテルで、セキュリティガードに取り囲まれながらではあったが短いMeet & Greetのためにファンの前に姿を現した。Michaelもそれをとても喜んでいたようだった。DenverではまたもやMichaelの顔から笑顔が消えたので心配されたが、母親が入院したためショーの後Chicagoに直行したとのこと。幸いなことにHoustonの時には回復していた。

そしてツアー最終公演地Dallas。7月29日、この日の公演がダンサーとして最後のパフォーマンスになると正式に発表された。ここでも撮影が行われ、Michaelは最高のパフォーマンスを見せた。ソロの最後にひざまづいて十字を切り、ステージに口づけをして自らを祝福したというその仕草は美しく、観客の涙を誘ったそうだ。アンコールの時に贈られた花束はステージの正面を埋め尽くし、感動的な最後の舞台は涙と喝采の渦の中、幕を閉じた。Michaelはショーの後またMeet & Greetに現れ、ファンと最後のひとときを過ごした。(写真掲載サイト)15才の少女Janetの感動的なエピソード「Angels Exist」には、多くのファンが涙した。(原文掲載サイト
 

Jeannie's Adventure (原文)

The Victory Tour 全21公演を観たJeannieが、彼女の旅の全てを綴ったものです。Vivianのサイトから転載させていただきました。 - Thank you!! Jeannie and Vivian. - とっても長いですが、簡単な英語で書かれているので是非読んでみて下さい。(翻訳する時間がなくてゴメンナサイ!)Jeannieはツアーを通してMichaelの苦悩をちゃんと見抜いていたんですね。私など、最初のパラグラフから涙がにじみました。どの会場でもみんながすぐに見つけられるように、いつも特徴のある帽子(バッジをたくさん付けたFOFキャップ)をかぶっていてくれたJeannie。彼女を通して、ツアー期間中喜びや悲しみを共にしたFlatheadsが一つにつながったような感覚を強く持ちました。Michaelがブルーのシャツを着ている写真は、6月6日GreenvilleのMeet & Greetの時のものです。
 

関連事項補足

*1 ツアー中のMichaelの警護について:
FOF 2001全米ツアー前に複数のストーカー被害を受けていたため、FBIはMichaelを24時間体制の保護下に置き、アメリカ国内にいる間、どこへ行く時も常に専門のセキュリティガードのチームが彼の身辺の警備を行った。Michaelは「こんなことになって腹立たしいし同時に悲しい」と語った。 あるドイツ人女性が度々ロンドンの家の玄関に花や手紙を置くなどしていたため、警察に届け出ていたことと、その一ヶ月後、南仏の家で早朝目を覚ますとベッドの足元に侵入者が立っていたという恐ろしい事件があった。

*2 ニュージャージーでの事故について:
7月1日ニュージャージー州East Rutherford(Meadowlands)公演の開幕15分前に、会場に雇われていた照明係のKevin Finn(41歳)は20フィート(約6メートル)の高さからステージに転落し死亡した。スポットライトを調整するために鉄のフレームの高い位置に登っていたが、安全装置は支柱に取り付けられていなかった。Kevin Finnは20年のキャリアを持つベテランで、安全装置を身につけていたにもかかわらずなぜ使用していなかったのか、彼をよく知る関係者にとっても謎であった。警察は事故として処理した。1年前にKevin Finnの兄も事故死していた。

by Sue
 

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